友人

20歳から30歳まで東京の国立市で暮らしました。武蔵野美大や多摩美大の学生、国立(クニタチ)音大の学生、画家や音楽家や作家も多く暮らしていて文化の香りいっぱいの面白い街でした。ジャズミュージシャンも多くいました。友人の大島君は当時美大の学生でしたがレコードを2000枚持っていました。最近はレコード3000枚、CD5000枚所蔵していました。
オールマンブラザーズバンドとかライクーダー、クラフトワーク、ビル .エバンス、民族音楽、ロック、ブルース、ジャズいろんなジャンルの音楽を紹介してくれて惜しみなくレコードを貸してくれました。
彼は音楽家ではなく美大のテキスタイルの学生でした。いつも音楽を聴いていました。今年の夏亡くなってしまいました。私にとっての音楽の恩人です。
ジャズピアニストの佐山雅弘君は近所に住んでいて何度も麻雀などして遊んだものでした。彼は2018年に亡くなってしまいました。彼とは同じ歳でお互い家を行き来して色んな話をしたものでした。最近歳の近いの友人たちが立て続けに倒れています。
名古屋のグラフィックデザイナー、イラストレーター、東京のテキスタイルデザイナー、ジャズピアニスト、などなどカタカナ職業の人達です。不規則な生活がいけないのかな。
若い頃時代を共有した友人は変え難い仲間です。とっても大きな寂しさを味わっています。
しかし、死んでしまったことで当時の友人達とまた連絡が取れるようにもなりました。友人は亡くなったけれど、疎遠になっていた友人のご縁が復活。ご縁は続くよいつまでも!
写真は45年前の大島君